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Re: 泣いちゃいました。

 投稿者:日本よか(管理人)  投稿日:2008年 2月 1日(金)01時21分51秒
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  > No.72[元記事へ]

Pピナさんへのお返事です。

励まし&ご声援ありがとうございます。

> ですから、亡くなることは悲しい一言ですが、
> 死が実感でき、別れを身に刻めて幸せだと思います。

そうですよね……。
ただ、最期に救急車呼んだ時は、自分も5年以上は病院勤務だったので、
救急で入院された方が助かるかどうかという“感”みたいなものが、嫌だけど、磨かれてましたので、倒れる前の衰弱具合から判断して、『今度こそ駄目かもしれない……いやたぶんそうだろう』という実感が湧いていました。

出勤する前に作った食事はほとんど残していましたし、もうまったく歩けませんでしたし……
*僕の勤務時間は、通常で16時間ほどあり、人手が足りない時は24時間になる時もありますから、その間母は、ほとんどものを食べられなかったわけですし(もちろん、傷みにくい野菜や穀類で調理した食べ物を枕もとに置いて出勤してました)、仕事が終ってから家に居られた時間が20時間から29時間くらいはあったのですが、その時間に大急ぎで食事作ったり洗濯したり体拭いたり、オシメ替えたり、なので、自分がゆっくり寝る時間も無かったです。
徹夜の夜勤明けに帰宅して、真っ先に食事を作らないと、母親は何も食べてないのですから。

*「介護申請は?」と疑問を持たれるかもしれませんが、
6月に入院して、入院中に心臓にもガタが来て、病院から別の病院に救急搬送されて、心臓カテーテル手術、翌年1月までそこで入院、退院後すぐ低血糖で意識不明(たまたま、僕は家に居る時間)、2月退院、それからすぐまた低血糖で倒れる(やっぱり僕が居る時間帯)、即日退院、なんとか一緒に過ごせたのが5月ごろまで。ゴールデンウイーク(僕の職場は、他所とちがってかえって仕事が忙しい)後、帰宅したところ、意識不明で救急搬送、6月に他界……という流れでしたので、その間母は、ほとんどの期間入院してた感じで、ゴールデンウイーク後に介護申請しようと考えて、車椅子も購入して準備していた矢先に他界……という感じでした。

僕が食事を作ってあげても「あまり食べたくない……」といって食べなくなってたりしてましたから、糖尿病が一番の持病でしたので、血糖値下がりまくるわけで、『もう、自分の今の生活と仕事のスケジュールがまったく合わなくなってきたし、そろそろ今の仕事辞めよう……』とか思ってた矢先に亡くなりましたから、急に足をすくわれたような気持ちで、
「時間が空いたからちょっとでかけるか」という感じで、職場と家の往復だけでなく、自分の趣味とかで友人と待ち合わせして出掛けられるようになったのは、つい最近です(母が亡くなったのが6月半ばでしたから、約半年かかりましたね……)。

> でも、70代はこの時代早かったですね;;
そう思います。でも、自分の事は二の次、三の次で、人の面倒“看尽くした人”でしたので、
“人の倍くらい生きた人”だったかもしれません。
ご近所の世話もよくしてましたねえ……小中学校時代に僕が学校から帰ると、知らない赤ちゃんとか小さい子が居て、急に大声で泣き喚き出して、てんてこまいしたりとかよくありました(笑)
*本当に、今急に思い出したなあ……この情景。

> 何か、亡くなり際「お疲れ様でした~」って帰宅していく社員達みたいで、
> どこか気楽に送ってやれる気持ちが持てるようになったんです。
> で、自分も「帰宅」するんだろうなぁ。
> 自分の「この」意識を家族が引き継いで、
> 悲しみを軽減してくれたらいいなぁと考えてます。

葬儀の日、ちょっと不思議な事がありました……。
葬儀場に向かう途中、実家のあった町を棺を乗せたクルマでわざわざ通ってもらうようにお願いしたのですが、
実家は、もう既に取り壊されて更地になっていましたが、元玄関前に停車してもらった途端、昔からいつもお世話になっていた隣のおばさんが偶然玄関から、何かの用事に今から出掛ける感じでヒョコっと出てこられて、それに続いて色んなご近所さんがたまたま通り掛り、人が人を呼ぶようにたちまち十人近くは集まり、「ご近所さんがたに最期のお別れ」をしっかりやってしまった、という感じで、度を越しておしゃべり好きな人だったので、よく冗談で「……きっと、“死んでも喋る”に違いない」とか僕が言ってましたが、『本当にそうだったなあ?!』と思いました(笑)
で、前年末に既に引越ししてたので、町内会員ではもう無かったのですが、
通夜や葬儀や出棺にも皆さん駆けつけてくださり、最期に出棺する時、
元ご近所のおばさん達が、一斉に
「オバちゃーんっ! ありがとう!!」と
声を揃えて絶叫してくれて……(あかん……思い出すとちょっともう……)。
僕が今まで生きてきて、一番感動した光景でした……。

もう一つ、葬儀の日に、僕的に忘れられない事がありました。

僕が小5のクラス替えの時、
初めて国語の授業で「朗読」をした時、
一人の女の子が教科書の1ページを読んだんですが、どうも僕的に
「聞くに耐えない、ヘタクソだなあ、コイツ!?」
とか思ったので、「もっと上手に読めよ」と言った途端、その子泣き崩れちゃって、
『え?え?え? 何?! どーして?!』と驚いた途端、
担任の女先生が烈火のごとく怒って、ものすごい剣幕で
『Nさんはね、アンタなんかよりずっと一生懸命努力してるのよ! 誤りなさい!!』
と言われてから、ハッ! と気付いた時にはもう遅かった……
今で言う「ポリオ」、当時の言葉で「小児麻痺」と呼ばれていた病気で、その子、喋るのがたいへんだったんですよね。
「し、知らなかったんだもん……」と、こっちも泣き出してその場は大変だったんですが……
*中学でも同じクラスになった事ありましたが、美術の女の先生が、皆で肖像画を描く授業でモデルに選んだくらい可愛い子だったので、「まさかそんな……?!」という感じでしたし……。

でね……
告別式の後、「おぼえてる?」
と言って僕に話し掛ける同年代の女性がいて、
見れば、昔の面影が……
「Nさん?」
「がんばってね?」
「……ありがとう!」

僕はそれで“許された”とは思いません。
ただ、「Nさんは偉いなあ……」という事です……。

しかし、「なんかあの日、母が“色々、『あっち』に持って行ってくれた”のかなあ?」
とも思います……。
*僕が、「上手に朗読する事が正しい」みたいな、
“自分の価値観から判断した正義感”は、“決して正しいわけでは無い”、
“一度そういう事は疑ってみなければいけない”、と考える事のキッカケになった(僕なりの「馬鹿の壁」はいまだに存在し続けておりますが……)のが、
あの小5の時の体験でしたから、Nさんは僕の恩人だと思っています……。
で、引越しもしましたし、次にお会いできる機会がまたあるかどうか……おそらく無いと思いますが、たぶん最期の出会いがそういう形で完結できた事は、本当に僕にとって心のトラウマにもなっていた出来事でしたので、やっぱり……人生にとって重要な瞬間だったと感じます。

> で、日本よかさん!
> ドラマを凌駕する経験してたんですね。
> 泣きながら驚愕しつつ読ませていただきました。
> いつこちらに寄らせていただいても、すごい話が置いてありますね。
> 世の中凄い人がいるものなんですね。
> 本当に何か形にして下さいね。
> 本になったら買わせて下さい!自主出版!
> すいません。先走ってしまいました;

自費出版は……今、色々問題になってるのでちょっと……(笑)

> ドラマを凌駕する経験してたんですね。
かもしれませんが……でも、
「物語」とすると、『まったくもって一貫性が無いよ?!』な人生経験です(笑)
何で、「そこからこっちに行くの?!」みたいな……。

僕が自分の経験から「自伝」みたいな事が非常に書きにくい理由がソコなので。
時系列で箇条書きにしても、「だから、何でそこからそっちに行くのぉ?!」
なわけで……(なんか「加工処理」しないとストーリーになりそうもありません。「実録」にはし辛いです)。
あと、思い出せれば、かなり古い事(産まれて2、3年)まで記憶を呼び起こせるのですが、歳いってくると、
『想い出す』事が苦手になってきますね。
今回の文章でも、書きながら思い出した事が多かったので、やはりとりあえず「書いてみないと、通常の意識下では思い出せない事」の方が沢山あるのでしょうね。

いろんな方々から「頑張って」と、ずぅーっと言われ続けてますので、
とにかく頑張らせていただきたいと思います☆

*あーでも……『毒ギョーザ食って孤独死』したくねえ~っ!?

http://mugensya.gooside.com/index.html

 
 
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